深田 上 免田 岡原 須恵

ヨケマン談義9.人吉球磨地方の伝承文化

9-4.球磨拳

 猿球磨拳は「ひい」「ふう」「さん」の合図ではじまる。筆者の祖父も囲炉裏(いろり)端で焼酎を飲みながら拳をしていたが、あぐらをかき、右手をじゃんけんの「ぐう」のように軽く握り、上下にゆらしながら「ひい」「ふう」「さん」と、声を掛け合いながらやっていた。
現代の日常的な数の数え方(中国語式)は、いち(1)、に(2)、さん(3)、し(4)、ご(5)、ろく(6)、しち(7)、はち(8)、く(9)、じゅう(10)である。「し4」と「しち7」の紛らしさを避けるときは、4は「よん」とか7は「なな」と呼ぶこともある。日本古来の数え方は(日本語式)、ひぃ(1)・ふぅ(2)・みぃ(3)・よぉ(4)・いつ(5)・むぅ(6)・なな(7)・やぁ(8)・ここ(9)・とぅお(10)である。一字ならば、「ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と」である。

指形 大会
図1.球磨拳の指形 図2.球磨拳大会(平成29年度球磨川会)

 図1は、0から5までの球磨拳の指形である。図2は、あまり見かけなくなった球磨拳大会風景である。

 さて、球磨拳は「ひい」「ふう」「さん」の・・で始まると書いたが、「ひい」「ふう」「みい」ではなく、なぜ「さん」なのだろうか。球磨拳のことを書こうと思って、最初に引っかかったのがこのことである。「さん」は3であることには間違いはないが、「ひい」「ふう」で始まっているのだから「みい」と、なぜ言わないのだろうか。中国や韓国では数字の3のことを「サン」と発音する。球磨拳の起源が中国やアジア大陸にあるとすれば「ひイ・ふウ・サン」の「サン」は、この「サン」ではないのだろうか。

 ジャンケンでは、グウ(石)はチョキ(はさみ)には勝つがパー(紙)には負ける。チョキはパーに勝つがグウには負ける。パーはグウに勝つがチョキには負ける。このように、ジャンケンはグウ、チョキ、パーの「三すくみ」で勝負する。
この「三すくみ」とは、ウィキペディアには次のように説明されている。「三すくみ(三竦)とは、3つの物が、互いに得意な相手と苦手な相手を1つずつ持ち、それで三者とも身動きが取れなくなるような状態のこと。つまり、AはBに勝ち、BはCに勝ち、CはAに勝つという関係である。」

 二人が一回のジャンケンをする場合、勝敗の確立は1/3=33.333%である。ただし、この場合は条件があって、たとえば、「グウ」を頻繁に出すような癖があるとか、「グウ」の次は必ず「チョキ」を出す癖がある、とかではなくて、二人とも、グウ、チョキ、パーを均等に出すような勝負をした場合である。だから、相手の癖を早く見抜くことが勝率を高めるコツである。

 ところが、2009年6月20日の日経新聞に、桜美林大学の芳沢 光男教授による「じゃんけんに関する研究」が掲載された。教授が725人を集めて、のべ11567回のジャンケンをさせたところ、「グウ」、「チョキ」、「パー」の出る割合は、それぞれ、1/3(33.333%)ではなく、「グウ」を出す学生が35.0%で最多、次は「パー」で33.3%、最少は「ちょき」で31.7%だったそうである。チョキが出にくい、出しにくい人間の癖であるならば、「パー」を出せば負ける確率は減り、「グウ」に勝つ確率は高まる。
球磨拳でも調査したら、たぶん、「0:ぐう」や「5:パー」は出やすいという結果になると思うのだが・・。呑ん兵衛さんは、焼酎を飲みたいばかりに、わざと負けるそうであるが、自分の癖を相手に早く見破ってもらう能力の持ち主なのだろう。ちなみに、ジャンケンで「あいこ」になる確率もやはり理論的に1/3(33.333%)であるが、芳沢 光男教授の実験によると、実際は22.8%だったそうである。

 勝率を上げるためには、球磨拳でも相手の癖をいち早く見抜くという点は同じであるが、球磨拳はジャンケンと異なり、図3のような6つの数字を使っての「六すくみ」であるから勝敗の確率は下がる、つまり難しくなる。AB二人で行う球磨拳の場合、二人の指の出し方は、それぞれ0,1,3,4,5の6通り、Aが勝つ場合は、1-0,2-1,3-2,4-3,5-4,0-5のように、0-5を除けば、数字が一つだけ多いほうが勝ちであり、6通りになる。したがって、球磨拳で一回だけAが勝つ確率は6/6×6=6/36=1/6となり、ジャンケンよりも確率は低く、勝負に時間がかかることになる。もし仮に、球磨拳の代わりにジャンケンであれば、勝負が早く決まり、負けた方の酔いつぶれも早くなり、酒席の遊戯にはならなかったかもしれない。

球磨拳
図3.1808年の古書、「拳会角力図会」にある拳の指形(打手之図)

 球磨拳では、数字の多い方が勝つ方式の「数拳」である。指1本は0本(ジャンケンのグウ)に勝ち、2本は1本に勝ち、3本は2本に勝ち、4本は3本に、5本(ジャンケンのパー)は4本に勝つ。ただし、0本は5本に勝つという具合の「六すくみ」である。
ただ、ややこしいことに、差が2以上の場合は勝負なしであり、連勝しなければ勝ちにならないことも球磨拳の特徴である。一つ目の勝ちの時に「イッチョ」と叫び、二つ目の勝ちの時に「ニイー」と叫ぶ。連続して勝つ場合は、腰を持ち上げて身を前に乗り出し、相手を抑え込むような勢いで「イッチョ!ニイ!」と叫ぶ。しかし、この場合でも、なぜ「ひい!・ふう!」とか言わないのだろう。どうも球磨拳に出てくる数の数え方は「ひい・ふう」、「ひとつ・ふたつ」、「いち・にい」の三通りあるようである。このことは、「ひい」「ふう」「さん」の「さん」と同じく、球磨拳の起源や伝搬に関係があるのではないだろうか。
ジャンケンは、数拳である球磨拳の1,2,3、4は省き、分かりやすい0と5と中間の2を残し、指形に「石グウ」「鋏チョキ」「紙パー」などの意味をもたせて三竦み(さんすくみ)に簡略化されたものといわれている。果たしてそうなのだろうか、次に、そのあたりを探ろう。

 現在のジャンケンは、中国の拳の遊びが長崎に伝えられ、江戸から明治時代にかけて盛んになり、それが日本の植民地支配地に伝わり、世界に広まったというのが通説である。そのジャンケンは球磨拳を簡略化したものとされている。ではその球磨拳のルーツは、いつ頃、どこで始まり、どのような伝搬ルートで人吉球磨地方に根を下ろしたのであろうか。

 モンゴルには「五すくみのジャンケン」があるそうである。その指の形は、
  1.親指を1本だけのばす。
  2.人指し指を1本だけのばす。
  3.中指を1本だけのばす。
  4.薬指を1本だけのばす。
  5.小指を1本だけのばす。
いずれも、その他の指はみんな曲げるというものである。中指や薬指を一本だけ伸ばすのは少し難しそうであるが、勝負はどうして決めるのかというと、
  ・親指は人指し指に勝ち、
  ・人指し指は中指に勝ち、
  ・ 中指は薬指に勝ち、
  ・ 薬指は小指に勝ち、
  ・小指は親指に勝つ
という「五すくみのジャンケン」である。もちろん、同じ指を出したときは「あいこ」である。
ついでながら、日本人同士のモンゴル式ジャンケンで勝つためのコツは、ずばり、「親指」を出すことだという。なぜなら、日本人は人指し指が最も出しやすい体質だからだそうである。

 球磨拳に似た拳が、主に大阪地方で行われていた「大坂拳おおさかけん」である。「大坂拳」は、片手指で0から5までの形を作って同時に出し、数字が一つ多い方が勝ちである。例えば、1は0に勝ち、2は1に勝ち、0は5に勝つというところは球磨拳やこの後述べる「本拳」と同じであるが、 連続して3回勝たないと一勝にはならない。

間宮 林蔵が樺太を探検し、間宮海峡を発見した頃の文化5年(1808年)、の江戸時代に刊行された「拳会角力図会(けんさらえすまいずえ)という古書に次のような「打手之図」というものがある。これは中国から長崎に伝えられた本拳の指形を絵で示したものである。この拳は長崎に伝えられたので長崎拳とか長崎本拳という。この拳が中国伝来であることは、この書物の中にある数値(一,ニ,三,四,五, など)の呼び方(数え方)が中国語発音であることである。たとえば、「三は」以前述べたように、「サン」であるが、四は「スウ」、六は「リュゥ」、七は「 チエ」と同書図絵の「ケンの打方」にはふり仮名がつけてある。

本拳 拳相撲
図4.「拳会角力図会」にある江戸時代の本拳の様子 図5.拳相撲の座敷土俵>

 図4は江戸時代の本拳の様子であるが、この遊び方は、双方が何本かの指を立てて手を出し、合計の数を予想して言い合う。合っていた方が勝ちになる。指は0から5までの数字を作り、合計の数は0から10となる。数字の言い方は独特の呼び方、つまり、符牒(ふちょう:記号のこと)がついていて、前述のように中国語での数字の数え方である。図5は座敷に置かれた土俵で、江戸時代には拳相撲も行われていたようである。

 本拳(長崎拳)の長崎への伝来の時期は、前田 利家や豊臣 秀吉らが群雄割拠した16世紀後半とされているから、球磨拳よりも歴史は古い。したがって、球磨拳も前述のモンゴル拳や長崎拳を土台に改変され出来上がったものであろう。
しかし、なぜ今も、人吉球磨地方にだけ残っており、伝承されているのだろうか。大阪商業大学アミューズメント産業研究所の高橋 浩徳さんは、同研究所紀要の第15号から第17号に「日本の拳遊戯」というタイトルで詳細な研究成果を報告されている。その第16号「日本の拳遊戯(中)」で、同氏は、「球磨拳は、他の拳と同様、江戸時代には全国的に知られ、遊ばれていたが時代の変化とともに次第に姿を消し、人吉球磨地方にだけに残ったものであり、これは、情報の伝達や取り込みが遅れがちなこの地方特有の地理的、文化的風土によって温存されたと指摘している。ちょうど、この地方だけに伝承されている「ウンスンカルタ」のようにと指摘されている。

 
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